去年の冬から現在までに出てきた瞑眩くん。(ちゃんじゃなくてくんて気がする。どっちでもいいのだけど)
瞑眩とは、(やっとめんげん、と入力すると漢字変換の最初に出てくるようになった。)東洋医学でいう排毒現象。
2月の咳風邪と、
今日、右小指の爪が自然にぽろっと剥がれ落ちました。
どこかにぶつけたとか挟んだとかではありません。
痛くも痒くもなく、ぽろっ、と突然。
いつの頃からか、ずっと黒ずんで硬くなっていた右の小指。
その部分が取れた!
これは、ヨガの先生のお話。
小指は創造性に当たる場所で、宇多田ヒカルとかは小指がグルグル回るんだそうな。
爪が取れたように、創造性をブロックしていた何かが取れた、ような感じでなんだか嬉しいです。
ここ2、3日は身体のこと以外にも出てきたことが、(瞑眩は身体だけじゃなく、自分の外側の現実にも現れてくる)
とにかく、周りの人が怒っている(笑
私はホ オポノポノもやってるのでその影響もあり、ですが、
私に対してじゃなくて、何かに怒っている人が周りにいっぱいいるのです。
これはもう、私の中にも怒りがあるってことよね、と思って、最近を振り返ってみると。。。
ありました。
見過ごして何事もないように蓋をしていたことが。
ある人に言われたアドバイスのようなこと。
私のために言ってくれたことだから、その場は言葉を受け取りました。
けれど、ほんとは
「私には私の考えややり方があるから」
って言いたかったんだよね。
内にあった怒りは、それを言えなかった自分に対してと、上から目線の相手に対して、両方なのかなって思う。
そして、相手の人も言ったことは私に対してだけど、実はその人は自分自身にほんとは言いたかったことなんじゃないかな、なんて。
怒りは、春だから肝臓の解毒をみなしてるのかもしれないですけどね。
面白いな、と感じた出来事でした。
出して出して赤ちゃんのようにツルツルになりたい~
なりましょ~、冷えとり仲間のみなさん☆
話は変わります。
今日、前から気になっていた、クラニアルセイクラルセラピストandアロマセラピストのカワムラタマミさんの
「からだはみんな知っている」
という本を買いました。
その中に、ちょっと前に私も経験した
ゆれる
ということについて書かれていた箇所がありました。(以下抜粋、途中省略)
「~春と口に出した途端に、あなた自身の春が目覚め、心が震え、ゆれはじめます。
ゆれるときは変化の前触れなのです。
ゆれている時は、なんだか落ち着かなくて、足が宙に浮いているかんじがして、自分の居場所を見つけようと必死になります。
でもあなたはちゃんと自分の場所に立っていて、自分の進みたい方向を模索して足踏みしているだけなのです。
実はゆれることによって、自分の中心の落ち着きどころがわかるのです。
自分の中心は自分にしかわからないし、自分しか辿り着けません。
気持ちのゆれは、成長していこうとする時に、必要なものです。
ゆれて、いろんな角度から物事を考えるうちに、ふっと答えが出たりします。
冬の時期に、縮こまっていたからだとこころを、ぐーっと伸ばして、ゆれながらほぐして、自分の中心に辿り着きましょう。
自分の進む方向がさだまったら、その方向を目指して、どんどん伸びていきましょう。
そよふく風にゆられることも楽しめる自分であるために、自分の足場はきちんと踏み固めて、自分の花の新しい芽をだしましょう」
身体を知り尽くした人はなんて優しいのだろうと思った。
そして、この本に書かれているように、確かにゆれたあと、変化がやってきました。
2つの変化。
そのどちらの変化の時も、もう私はゆれていませんでした。
進む方向が定まって地は足にしっかり着いていたからです。
ゆれてゆれて、あ、この場所がいい!っこっちの道から進もう!とわかったのです。
あと、本で紹介されているクラニアルセイクラル(頭蓋骨仙骨療法)のセルフセラピーをやったあと、すぐに左膝をぶつけてしまって痛い。
クラニアルセイクラルセラピーは、脳と脊髄を覆っている硬膜の中の脳脊髄液の循環を促し全身の呼吸をととのえるために、頭から仙骨まで手でごく微弱な圧をかけていく療法だそうで、
私はセルフセラピーのとき、左が反応してたのを感じてたので、左膝をぶつけたこと、無関係だとは思えない!
これも身体の整体、調整や排毒のようなものなのかな??
「からだはみんな知っている」
愛のある素晴らしい本です☆
剥がれた爪です(笑